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あー、議論したい気分というだけで不快にさせて申し訳ありません。
しかも今はちょっと高らかに攻撃したい気分なのでうやむやに攻撃的です。
>確かに悩んだり考えたり怯えたりすることは、とても大切です。
>それは否定しません。しかし「いじめ」にも限度があると思います。
>ある程度のいじめられっ子には「悩んだり考えたり怯えたりすることも大切だよ」と言えるのですが、世の中には信じられないほど壮絶ないじめを受けている人もいます。
>何百万円も恐喝されたり、他の生徒の前で全裸にされ自慰行為を強制させられるいじめられっ子もいます。そういういじめられっ子と現実に対峙した場合でも知歌さんは「悩んだり考えたり怯えたりすることも大切だよ」と言えるのですか?
ここは、ちょっと言ってることがズレてる気がする。
「なんたらかんたらも大切」=「消極的逃避の肯定」っていうことではないでしょうか。
一応書いておきますが「後でも何らかの処置をする」ことを前提としています。
何百万とか公衆便所(表現汚くてごめんなさいね。)はこの場合「後の状況」に入ると思いますけど。
>確かに現実は厳しいです。大抵の人が何もしてくれないのも事実です。
>しかし僕はしっかりした大人が(ものすごく少数だけど)いる事を経験的に知っています。
>ですから僕の「探せば助けてくれる人が見つかる」という考え方に変わりはありません。
いても不可能な場合もありますが、
「探せば見つかる」なんてのもいいんじゃないでしょうかね。
仮に見つかって、その後はどうするのか。
その人はどうしてあげるべきなのか。ぜひお聞かせ願いたいですね。
>とにかくいちばん重要なのは、いじめられっ子に対して「あなたには色々な選択肢があるんだよ」という事を教えてあげる事なんじゃないでしょうか?
えぇ。その点を貴方が説明してくださったので省きました。
と、いうか選択肢があることぐらいいくらバカでも知ってるでしょう。
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