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「自己カウンセリングとアサーションのすすめ」平木典子 著より
攻撃的な自己表現をしている人は、自分を大切にしているのですが、
相手を尊重しておらず、相互尊重の関係を作ってはいません。
もちろん、違いに対する配慮もなく、
違っている場合は相手が自分に合わせるべき、自分の思い通りに相手が動くべきと思っています。
その意味では、非主張的な人と同じく、人は同じでなければならないとか、自分と同じになるべきと思い込んでいるのかもしれません。
違っていることは悪いこと、どちらかに一致すべきと思っている可能性があります。
特に、世の中には唯一の正しい答えがあって、自分の方が正しいのだから、相手は自分に従うべきだと思っている人は、攻撃的になりがちです。
或いは、人間関係を力の関係、上下関係、勝ち負けでとらえ、自分の意思が通らなければ負けたように感じる人も攻撃的になります。
どうしても承諾しない相手に勝つためには、無視しても排除してもかまわないと思うのです。
攻撃的な人は、一見主体的に動いているようですが、その裏には、相手が自分と違うことへの不安、相手に逆らわれることへの恐れ、相手ときちんと話し合えない不器用さなどを抱えていることが多く、その意味で、自分の気持ちに不正直です。
正直に率直に、自己表現するなら、その不安や恐れ、不器用さを表現することも大切なのですが、それは格好悪いこと、負けることと思っているのでしょう。
それを繕うために相手を攻撃して、自分を守っている可能性もあります。
このような攻撃的な対応をされた人間は、不愉快です。
自分の意に反して強引に服従させられたり、軽視されたりした場合は、一方的に傷つけられ、侮辱された気持ちになるでしょう。自分の気持ちを聞いてもらえそうもないことが分かってくると、非主張的な人は付き合いを避けようとし、攻撃的な人はそれを上回る攻撃をしかけてくるかもしれません。
いずれにしても、相互尊重の付き合いとはならず、関係は長続きしないことになります。
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と、いうことで、話し合うことができる人間なら、「まとも」に話し合えよ。
文章を読んだなら、感想を聞きたい。
いつまでも貶すことしかできない人間関係構築無能者には、これ以上言うことはない。
君の攻撃的自己主張が延々と続くことに周囲が辟易していることにも気づかない。
気づかずに続けているから、「終り」なんだということに、何故気づかない。
言っておくが、私は非主張的な人間じゃない。
貶すだけなら、その程度の人間だってことで、君には見切りをつける。
英雄賛美をするつもりも毛頭ない。
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