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彼女の達観 +ひこばえさんへ
 Deny  - 03/12/12(金) 0:19 -

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   「自己カウンセリングとアサーションのすすめ」平木典子 著より

非主張的な自己表現とは、自分の意見や考え、気持ちを表現しなかったり、し損なったり、相手にわからないような言い方をすることです。
従って、これには黙っていることもひとつの自己表現として含まれます。
つまり、沈黙や曖昧な言い方、いいわけがましい言い方、消極的な態度や小さな声で言うことなども自己表現ですが、それは不十分なものになりやすいということです。

このような自己表現をしている人は、自分を抑え、相手を優先し、相手を立てているつもりかもしれませんが、実は自分で自分を否定していたり、自分に対して不正直であったり、相手に率直でない自己表現をしている可能性があります。いわゆる引っ込み思案で、自己否定的、依存的、相手任せ、そして服従的な言動です。

たとえば、友達に「ご飯食べて帰ろうよ」と誘われたとしましょう。あなたは早く帰って夕食は家族と一緒にとろうと思っていました。そんな時、どうしますか。どういって断りますか。
「そうだね・・・」とどっちつかずの返事をしたり、何も言わなかったりしていると
「じゃぁ、どこにしようか、和食がいい?中華がいい?」などと聞かれて、ずるずると一緒にいくはめになることがあります。
あるいは、「今日は家族と食事をすることにしているから」と一度は断っても、「いいじゃない、ちょっとだけつきあってよ」と言われて、それ以上断れないで、内心「困ったな」と思いながらも、不本意ながら付き合うこともあるかもしれません。

その結果は、不本意なことをしていることで何となく不愉快で、相手に気持ちよい態度がとれず、家族のことが気になり、食事に集中できず、後味の悪い食事になり、挙句の果てに相手を恨むようなことも起こりかねません。

その心理には「せっかく誘ってくれたのに断るのは悪い」といった罪悪感や、「断ると相手を軽んじている、相手を嫌っていると思われるのではないか」といった気遣い、「せっかく誘ってくれたのに今断ると、次から誘ってくれなくなるのではないか」という不安、「相手と違うことはよくない」といった思い込み、などが潜んでいて、本心を打ち消して、自分の本心は横において相手の希望に応じてしまうのです。

おまけに、家族との約束も反故にしてしまうことになり、そこでも不本意な思いを体験することになります。そして、家族にきちんと謝らなくてはならないというマイナスのおまけまでついてしまうことになります。

このような言動は、自分に確信が持てず、消極的な生き方をしているとき、相手に従わなければならないと思っているときに取りがちになります。物事を決めるに当たって、自分の気持ち、意見をきちんと言わないことで、結果的に相手の意見が通ることになり、相手が優先されるので、一見相手を尊重しているようにも見えます。
しかし、実は決定を相手に任せているわけで、依存的で、相手の承認を期待し求めている態度ともいえます。

自分の考えや気持ちを相手に言うと相手のそれと違う可能性があるので、躊躇したり、自分の気持ちを抑えたりするのです。違うことは嫌われること、面倒なこと、もめごとが起こること、だからやめておいた方がよいと考えるのでしょう。

確かに相手任せにしていれば、葛藤は起こりません。葛藤が起こらなければ、違いを調整するために時間をとる必要もありませんし、すばやく、スムーズにことが運びます。
結果は、相手の気持ちにそったことになって、そのときは気分がよいかもしれません。

ただ、一方では、自分の本心や気持ちを抑えているので相手に分かってもらえず、表現しなかった気持ちに未練が残ったり、分かってもらえなかったことで惨めになったりもします。
分かってもらえない理由は自分の非主張性・不十分さにあるにもかかわらず、「譲ってあげた」と相手に対して恩着せがましい気持ちになったり「譲ったことに感謝もされなかった」と恨みを抱くようになることもあります。
自分の意向、特に反対意見を表現せず、ズルズルと相手の意向に従ってしまったとき、つまり、「ここは相手の意向をとろう」と自らの決心で相手に従うのではないとき、結果としては我慢させられたことになり、不愉快になるのです。

このようにして我慢や恨みが積み重なってくると、欲求不満やストレスがたまります。
初めは、欲求不満やストレスは隠して相手を立てようとしますが、やがて、気持ちのこもらない無表情で、慇懃無礼、過度に丁寧な対応になることもあります。
人付き合いが億劫になって、人と付き合うことを避けるようになったり、挙句の果てには心身症やうつ的になったりします。
そもそも、人に受け入れてもらいたい気持ちから、自分の意見を言わずに相手に合わせたはずだったのに、結果は寂しい思いを味わったり、孤立したりすることになります。

また逆に、欲求不満が溜まった結果、自分より弱い立場の人に対して、怒りを爆発させる形で、八つ当たりをしたり、意地悪をすることもあります。この八つ当たりや意地悪も相手には分かりにくいことであり、いわれない不当なことをされているわけなので、お互い大切にした付き合いにはつながっていきません。強い相手に従い、弱い相手には従わせるとなって、人を差別して付き合うことになりかねません。

さて、非主張的な対応をされた相手は、自分の言い分が通ったわけなので、そのときは意見が一致したと思うでしょう。しかし、自分の意見と同じだったとか、自分を大切にしてくれたと思っていたことが、実は違っているわけですから、その関係は誤解の上につくられたことになります。
したがって、関係はぎくしゃくしたものになりかねません。
つまり、それでよかったと思っていたら、最終的に被害を被ることになってしまうのです。
時には、突然恨み言を言われたり、言わなくても分かるべきだと言わんばかりの態度を示されたりすることもあります。
相手は、そこまでの言葉と態度とは不一致な行動が返ってくるので、戸惑うでしょうし、対応に苦しむことになるでしょう。
そうなるとお互いの理解は難しく、表現の裏を読まなければならない思いに追い込まれます。
本心を言わない人に対して、気の毒な思いを持つこともあるでしょう。

非主張的な自己表現は、その場は相手を大切にしているようですが、自分で自分を踏みにじってしまうわけですから、自分にとっても相手にとっても真の思いやりにはつながらないのです。
真の思いやりとは、相手を大切にしながら、自分も大切にして自己表現をすることであり、相手に嘘を吐いて、相手を大切にしたふりをすることではないでしょう。

非主張的な自己表現をしている人は、自分で自分を大切にしないで、相手に自分を大切にしてもらおうと思っている可能性があります。
しかし、それが不可能なことは人間のコミュニケーションの特徴からもよくわかることです。
人はひとりひとりみな違うのに、自分を明らかにしないで大切にしてもらおうと思っても、何をどのように大切にすればいいのか相手には分かりませんし、また逆に、自分の思いだけで相手を大切にしたと思っていても、本当に相手を大切にしたことにもならないのです。
同じことや違うことがわかって初めてお互いを大切にすることができるのです。

+++

同じ本からの引用です。

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