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>性器を日記サイトで見せる学生と自殺願望者と、同じひとくくりにして欲しくない、というのが本音。
私には同じに見えます。
誰にも知られたくないけど、誰かに見てもらいたい自分の暴露。
その点では、まったく同じです。
>大きさが違う。重さが違う。目的が違う。
快楽ならリスクが伴っても「生きていれば」軽い問題で
自殺願望は「死んでしまうほど大きな悩み」だから重い問題なのでしょうか・・・
>「H大好き〜中出し最高〜」
>これは娯楽だろう?
>個人的な趣味だろう?
>「後悔するからやめろ」という他人の忠告が、
>当人の快楽・楽しみを一時的に冷めさせたから、憤慨したんじゃないのか。
>合コンで盛り上がってるときに、誰か一人が「馬鹿みたいだ。帰る」と言うのと似ているんじゃないかと思う。
なるほど・・・納得です。
空気を読んだ発言が求められている、ということですね。
自殺願望者が集うサイトで「生きてほしい!死んだらダメ!」という事に似てますね。
安易な発言は水を差すだけです。
空気に流されて戻れないところまで来ている場合は、と杞憂しています。
指針を示せなくなっていることはどちらも同じではありませんか?
>中出し大好き・見せるの大好きな女の子に「後悔するからやめろ」というのは、
>自殺願望者に「後悔するからやめろ」というのと明らかに場の次元が違うと思う。
>どっちにしろ閲覧者が無責任な立場にいるのは変わらないけど。
私は、どこが違うのか、その「次元」が理解できてません。
軽薄な場所では「もっとやって!」ということが正しいこと?
どこで「やってはいけない」ということを伝えるんでしょう?
実際目の前に「死にたい」「誰とでもどんなプレイでもする」という悩みを持った二人がいたら、次元が違うから、と答えを変えたりしますか?
男性には「不特定多数」と性交することのリスクを理解してもらうことがむずかしいかもしれません。
例えば、自分の彼女が不特定多数の人間と性交することが好きで、ネット上に公開することを趣味としている場合(ましてや、それが理由で誰の子かわからない子供を妊娠してしまったり、性病になってしまった場合) どう言いますか。
やめろ、と言いませんか?
やめろ、と言わないのは「ネット上のどこかの知らない人間」がやってることだから、ではありませんか。
やめろ、というとき「自分のためにやめてくれ」というのか、「俺が嫌だからやめてくれ」というのか。
>僕もわからない。
>簡単な例で
>未成年で酒を飲むこと、18歳未満でエロサイトを閲覧すること。
>身体的・精神的に未成年者には悪影響を与えるとされているが、
>徹底的にそれを自分に禁じようとは思えない。
>
>僕も見せたがりな女の子と同じじゃないか。
どうしていけないのでしょうね。
体に悪いから? 自分の将来がまずくなるから? 自分のためにならないから?
自分が困るから? 他人に迷惑がかかるから?
自分がよければいいのでしょうか。
自分が責任とって、後悔しない、と断言できるならやってもいいのかもしれません。
それが快楽なら。
でも自殺願望だとしたら?
死にたくて仕方ない。死でしか自分は逃れることができない。
自分が責任とって、後悔しない、と断言できるならやってもいいことでしょうか。
死んだ場合は、どうしても後片付けは自分でできないから「やったらいけない」のでしょうか。
死んだら「絶対」後悔するはずだからやってはいけないのでしょうか。
それが見たこと無い他人の死だとしても?
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