|
>快楽ならリスクが伴っても「生きていれば」軽い問題で
>自殺願望は「死んでしまうほど大きな悩み」だから重い問題なのでしょうか・・・
かまって欲しい子ちゃんのリストカッターと、今にも死のうかとしているリストカッター。
同じ言葉をかけ、同じ対応を取りますか?
本人の意識レベルの問題もある。
マニュアル読んで対応する訳じゃないから、僕はその人の意識・状況に応じて行動すると思う。
だから、僕にとってはまったく次元の違う問題になるんだ。
>なるほど・・・納得です。
>空気を読んだ発言が求められている、ということですね。
>自殺願望者が集うサイトで「生きてほしい!死んだらダメ!」という事に似てますね。
>安易な発言は水を差すだけです。
>空気に流されて戻れないところまで来ている場合は、と杞憂しています。
>指針を示せなくなっていることはどちらも同じではありませんか?
自殺願望者によると思う。
>私は、どこが違うのか、その「次元」が理解できてません。
>軽薄な場所では「もっとやって!」ということが正しいこと?
>どこで「やってはいけない」ということを伝えるんでしょう?
>実際目の前に「死にたい」「誰とでもどんなプレイでもする」という悩みを持った二人がいたら、次元が違うから、と答えを変えたりしますか?
答えを変えたりする。
「もっとやって!」ってのは、まず本人がそう言われることを期待していないわけではないだろう?
>男性には「不特定多数」と性交することのリスクを理解してもらうことがむずかしいかもしれません。
当人がまずその危険性を理解せず、不特定多数を受け入れている。
そこに「男性には」と線を引くことに不満を覚えます。
>例えば、自分の彼女が不特定多数の人間と性交することが好きで、ネット上に公開することを趣味としている場合(ましてや、それが理由で誰の子かわからない子供を妊娠してしまったり、性病になってしまった場合) どう言いますか。
>やめろ、と言いませんか?
やめろってより、自業自得では?
それが趣味なら、仕方のないことです。
僕は身を引きますよ。
口を挟んでも、他人の嗜好とは変えることが難しい。
無責任?どちらが無責任でしょうか。
僕は男女ってのはその程度だと思います。次元が。
>自分がよければいいのでしょうか。
>自分が責任とって、後悔しない、と断言できるならやってもいいのかもしれません。
>それが快楽なら。
>
>でも自殺願望だとしたら?
>死にたくて仕方ない。死でしか自分は逃れることができない。
>自分が責任とって、後悔しない、と断言できるならやってもいいことでしょうか。
>死んだ場合は、どうしても後片付けは自分でできないから「やったらいけない」のでしょうか。
>死んだら「絶対」後悔するはずだからやってはいけないのでしょうか。
>
>それが見たこと無い他人の死だとしても?
↑のときしんさんの意見こそが、大きな差だと思いますが。
快楽と自殺ではリスクも悩みも大きく違う。
|
|