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答えは出ませんが、と前置き。
私は、ネットの世界と現実世界を切り離した方が、自分のためにはいいような気が最近します。
自分の目の前のことすらままならないのに、あえて触れなければ一生関わらない世界に首を突っ込むことに空しさを禁じえないからです。
ピピさんもおっしゃっていましたが、ネットの向こうで叫びをあげる人に対して
何か言葉を発する、リアリティのない世界に対する呼びかけ。
そして、受け取る側もおそらく、同じように、画面に映し出される「文字」という認識だけ。
決して触れ合うことは無い世界、でも同時進行のパラレルワールドみたいです。
私には私の現実があって、他人には他人の人生がある。
ただ、それだけです。
どうすることもできません。
今も多くの人が死んでます。
いずれ自分も死にます。
私は、この世界そのものがバーチャル化してきているように感じるのです。
生きたって死んだって構わない。
自分が死んだらその先が見れなくて、生きていればその先を知ることが出来る。
死ぬことと生きることの違いはそれだけです。
むしろ、これからは生きている人間が死者を羨む時代になると思います。
>>このリアリティのなさ。
楽しければいい。自分がよければいい。気持ちよければいい。
全ての事象は自分を楽しませるために存在する。
それは、自分の世界にだけ存在する、バーチャルな世界感だから。
誰がセックスして、性器を見せようとどうでもいいことなのです。
自分が面白ければ。
誰が悩んで誰が苦しんで誰が死のうとどうでもいいことなのです。
自分に関わりがなければ。
私の正直な心を話せば、すべて自分以外のことは「どうでもいいこと」です。
ただの「情報」です。
私は、ネットで性器を見せられようと、どこぞの他人が「明日死ぬ」と言っても
いつもと変わらない毎日を過ごしますし、それに対して胸を痛めることはありません。
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地震が起きようが、私はいつもどおり定時に起きてニュースでその話を聞きます。
大津波で死者が何名出たとしても、そんなことより雪で自分が遅刻する方が困ります。
本来、知ることができないことを知ることができる利便性と、
知らなくても過ごせることに対して、無闇にリアリティを持とうとして心を苛ませる効果も、情報にあります。
関わらなければ、関係ない世界。
見たくなければ見なければいい世界。
でもこの世界のどこかで「現実」にある世界。
ネットや、ニュースで流れる情報は「情報」として捉えている私のような人と
「リアリティ」を持って心を苛ませている人は何が違うのか
純粋に解らなかったのでスレを立てました。
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